今年1本目の映画鑑賞は「バードマン-あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡 」
かつてヒーロー物の主役で名を馳せた老優(マイケルキートン)がブロードウェイの舞台で再起を図る。そのリハ~プレビュー~初日までを(批評によると)驚愕のワンカットで撮った作品。監督は「バベル」のA・イニャリトゥ。撮影は「ゼロ・グラビティ」のE・ルベツキ。ワンカット作品といえばヒッチの「ロープ」が有名だが、映像的には(当たり前だが)飛躍的に進化しており、それだけでも最後まで「まさに」目が離せない作品だった。
人は-特に年齢を重ねると-自分の存在が忘れられていくことに対して恐怖を覚えるものなのだろう。一時の名声など何も役に立たない。おちぶれてしまえば余計に苦みが増すだけだ。
ごく一般人からすれば「世間に自分の存在を」なんて大層なことを考えることはそこまで無い。自分が生きてきた範疇の身近な人たちの間で、自分の存在を確かめられればそれでヨシとして死んでいくだけだろう。
自分の存在を確かめたければ、まずすべきことは人の存在を認めること。こちらから挨拶もしないのに認めてもらおうなんて虫のいい話だ。自分の仕事や生き様も、分かってくれと一方的な圧だけでは、誰も自分を認めてくれはしないだろう。
人を認めるというとエラそうだが、人の存在を認める、と言えば分かりやすい。「いい年してホント俺ってどうしようも無い」と思っている自分だとしても、「善し悪し」のものさしだけで無く全てひっくるめて見てもらえる人に出会うと素直に付き合えるものだ。
「シャチョ、正月早々病んでますよね?」と新井さんの声が聞こえ始めたのでそろそろ終わりにすることにして。。
バードマン。最愛の娘にちゃんと存在を認めてもらえただけでも、男として悔い無しだな。と思いつつ気持ちよく眠りにつける作品だった。また観ることだろう。
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