ついさっきまで、行きつけのバーで日本の自虐史観についてアツく語っていたのだが、「そういえば今日はブログ当番だった!」と思い出して、あわてて事務所に駆けつけた。昨日は錦織が世界ランキング2位のマレーを死闘の末に破るし、今日はカープがマジックを1とし、明日は広大の定期同窓会なのに移動日に優勝が決まってしまっては四半世紀ぶりの感動が、気の抜けたコーラのような感じにならないことを祈りつつ、キーボードに手を乗せているこの頃だが、そんなことはさておき。
自虐、というのはやっかいなものだ。自分はそう思っていなくても、人(国)から責められてしまうと、脛に傷持つ側からすれば、そうそう強気になってつっぱねることも出来ない。が、一部厚顔無恥な人(他国)の姿勢を見ていると、時にはそれくらい開き直って立ち向かっても、決して全員から非難されることは無いだろう、と思う事もある。
日本人は優しい。和の心がちゃんと今でも生きている。聖徳太子の憲法にも書いてある通り、一番大事な精神は「和」の心ではないのか、と私は中学の頃から思って生きていた。
自分から火炎瓶を投げる時は、本当に全身全霊をかけて、立ち向かう時だけだ。火をつける前に、ちょっと冷静になって考える行為をしてみると、そんなに簡単に毎回毎回、着火する必要もない、と考え直すこともあるだろう。
個人至上主義が、結局日本の一番大事な美徳を崩壊させたのならば、これから先、日本がどういった方向に向かえば良いのか、は本当に国を憂うならば解ってしかるべきだろう。
自分という一単位の人生、生活を思う時、もっと広い意味で、日本人全体の生活、人生に想いを馳せてみることがある。自己満足な愛国心(愛国心、という言葉自体におこがましさを感じていたは三島さんだったが)かも知れないが、国を想うと、まず目の前の周りの人に対する態度、姿勢も確実に変わっていくものだ、ということで…今日はここまでで勘弁してもらおう。
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