今日は大阪出張だった。
大阪にも「おかあさん」の看板を3カ所で挙げてもらっているので、その縁でお世話になっている社長さんやスタッフの方へのご挨拶も兼ね、大阪はミナミにある今宮神社に参拝。いわゆる「えべっさん」に行ってきた。
広島から大阪に出たのが29の時。初めて難波駅に降り立った時は人の多さにたまげたものだ。(その後、新宿駅でさらにたまげる経験をするのだが)当時住んでいたのは恵美須町という通天閣がすぐそこに見えるいかにも「大阪」という街だった。広島でそれなりに風俗で遊んでいたが、大阪に出てから本格的に遊びに腰が入ったので私にとっては本当に思い出深い街だ。
西生まれの人間にとって、気さくで親しみやすい大阪の人々に囲まれての生活はとても気楽で楽しいものだった。当時は私はまだしっかりと広島弁だったハズだ。結局大阪には8年住んでいた。
38で上京してからは標準語を意識してしゃべるようになった。周りの人たちからすれば、まだ私はナマっていると感じているハズだが、ほぼちゃんと標準語で話せているハズ。周りにナマっている人が少ないというのもあったが、田舎の人間にとっては教科書で習った標準語で話すことで、すんなりと東京に溶け込めた気がしている。故郷の言葉を否定するワケではないが、知らない土地の人に溶け込むためにまず言葉を合わせる、という意識と行動をして良かったと思う。
何が言いたいか、というと…大阪の時はそんな言葉に対する意識は無かったということだ。自然と関西弁(当然地元の方からすればエセ関西弁なのだが)がうつり、元来持っている「圧」を保ったままでコミュニケーションが取れていた。東京に来てからは、その「圧」が良くも悪くもコンプレックス、というか異端者扱いされやすいので、根が小心者で繊細な私は自然と言葉から迎合してしまったのだと思っている。
今でも本気で心からの言葉を発する時は広島弁になることがある。女性に指導する時にたまに出ると「ヒドイ!」と顰蹙をかうこともあったのだが、こればかりはなかなか治らないものだ…。
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