3年前、オープンしたばかりの
京橋おかあさんに月に数回は出向いていた。
イケオカにいたスタッフタムタムがテンチョとして京橋に赴任していたので、その助っ人として行っていたのだ。電話はあまり鳴らなかったが、女性はたくさん面接に来てくれていた。その中にKさんという40代の少しふっくらしたおかあさんがいた。
Kさんはもともと介護施設勤務、障がい者の施設でも働いたことがあることのことだった。そこでKさんが経験したいろんな話も面接の時に話してくれた。如何に高齢者の介護が大変か、想像を絶する現場の話の中に、高齢者や障がい者の射精介助の話も入っていた。
河合さんの「セックスボランティア」も読んでいたし、映画「さようならCP」の中で、性欲について体の不自由な成人男性たちが延々と語るシーンもしっかりと脳に焼き付いていたので、そこまで驚きはしなかったが、それでも実際に体験したKさんの語る内容は活字で読むよりもずっと生々しく深刻なものだった。
入店した翌月、Kさんは突然辞めると言ってきた。立ち上げたばかりのお店で満足に稼げなかったからか?と思い、京橋駅前の喫茶店で面談したのだが、収入面ではなく、患っていた病が悪化し身体がついてこなくなったのが理由だった。
かなり重い内容だったが、私は流石に気休めは言えずほぼ黙って聞いていた。すべてを話し終えたら、Kさんは手帳の切れ端らしき小さな紙切れを私に差出した。紙切れにはある人物の名前とその経歴が小さな字で書かれていた。
「一度この人のセミナーを聴いてみてください。サイトウさんのような考えをもっている業界の人なら絶対に役に立つと思います」
昨年秋に
「性風俗のいびつな現場」の取材依頼を受け、初めて坂爪さんにお会いした時、私はその紙を持って会いに行った。Kさんから切れ端をもらってからも、私は坂爪さんのセミナーにも行かなかったし、ましてこちらからコンタクトをとろうとも思っていなかった。が、結局はそれ以降「風テラス」でもずっとお世話になっているし、いろんな先生方とのご縁もいただくことができた。
あれから3年。梅雨の時分、薄い雨の降る日になると、ときどきあの最後の面談の日を思い出す。Kさんが病を克服し、何処かで元気で頑張っていることを今でも願っている。
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